2012年9月28日金曜日

人はなぜ山に登るのだろう・・・。【書評】神々の山嶺


  

登山を始めて、2年ほど。
登山をしている人なら、絶対に考えること。そして、僕も考える・・・。

「なぜ、登るのか??」

あんなにも、大変な思いをして、苦労をして、疲労しても。。なぜ??
正直、そんな答えは見つからし、正解だってない。

でも、少しでも自分なりの答えにたどり着けそうなヒントが満載の山岳小説、

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漫画本も出版されており、山好きなら、誰でも一度は読んだことがある位、有名な本。

今日は本書で出てきた、好きな言葉を紹介するとともに、自分なりに「なぜ登るのか?」を考えてみました。



本書の概要

 登山家である羽生丈二が、前人未到の「エベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂」に挑む姿を描く。また、ストーリーにジョージ・マロリーはエベレストに登頂したのか?という実際の登山界の謎を絡めており、主人公のカメラマン、深町なりに答えを出している。内容はフィクションですが、羽生丈二は実在する登山家、森田勝がモデルとなっています。


好きな言葉と山に登る理由

 個人的に小説のなかで心を打たれ、素晴らしいと感じた表現。以下、神々の山嶺より。

行きたいということと、行くということがどれほど違うか。 
胸がひりひりするような山-頂上を見上げれば、胸が押しつぶされてしまいそうになるような思い、そういうものからは別の世界に、自分は行くことになる。 
死に行くために、山にゆくのではない。むしろ、生きるために、生命の証を掴むためにゆくのだ。 
独りの山は深い。 
山へゆくというのは、あれは、山と対話をしにゆくのである。山と対話をしながら、山のどこかにいる自分自身を捜しにゆく。 
遠ざかれば遠ざかるほど忘れてゆくものもあるかわりに、逆に、見えてくるものもある。色々なものが遠くなり、疲労の中で消え去ってゆく代わりに、それでも消えないもの、残っているものが、いっそうはっきり見えてくるということだってある。 
欲しいものがあれば、自らの手でそれを掴み取るしかないのです。 
なぜ山に行くのか。なぜ、山に登るのか。それには答えがない。それは、なぜ人は生きるのかという問いと同じであるからだ。もし、それに答えられる人間がいるとするなら、それは、なぜ、人は生きるのかという問いに答えられる人間である。

登りたいと思うことと、登ることは全く違う。いくら写真や映像で見たって、山は実際に自分で登ってみないと、何もわからない。

 神々の山嶺を読んで、自分なりに山へ登る理由を考えてみると、「頂きを自分の目で確かめたい」、「自分がどこまで登れるのか、行けるのかを試してみたい」、というやはり、チャレンジしたいという気持ちが大きいです。今はこの気持が大きいですが、これからまた山へ登るにつれて、この気持は違うものに変わっていくのだろうと思います。


さいごに、、感じたこと

 羽生は最後に、”想え”というメッセージを残しています。これは、想えば叶う!!というメッセージかなと感じました。”想え”というのは、山へ登りたいという気持ちを強く持ち続けることでもあり、山へ登りたいという気持ちがあれば、きっと登れる。そういうことを言いたかったのかなと。。

登りたいという気持ちを強く持つこと、これも登りきるためには絶対に必要なこと。

山岳小説も熱くて、どんどん山の世界に引き込まれました。登れない時は山岳小説読むのもいいですね。

そして、下の記事を見て知ったのですが、ジョージマロリーの伝記、「エベレスト」が撮影されるようです。。

この映画が公開される前に、神々の山嶺も読めば、映画をより一層楽しめるかも??です。

へばだば~~。。


トム・ハーディ、伝説の英登山家ジョージ・マロリーの伝記映画に主演 : 映画ニュース - 映画.com





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